余裕ができたから考えてみた。

笑ってる顔が多いこの村で、人にすれ違うと

手を挙げるか「オラー」って知らない人でも挨拶する。

日本も家の田舎ではそんな感じだから懐かしい感じ。

 

夫は笑う回数かやたら増え、ここにあってるんだろうね。

私は今んとこはエンジョイ中。

 

鳥の数がすごくて、

(明日は3階に上がってバードウオッチングをしよう!)って思うんだけど、

数ステップの階段を上がるのはなかなかの距離。

まだ一回も行ってない。(リラックスしすぎ、別名怠け者。)

 

昨日も10:00過ぎには眠くなって、

日課の母との電話が終わったらすぐに

バタン、Q〜

 

朝は明るくなった頃鳥の声で起きる。

平和ってのはこういう状態を言うのだろ〜。

 

 

それでなんとなーく余裕が出てきたから、今朝は起きてから自分の中にある恐怖について考えてみた。

 

いつも11月ごろなると襲ってくる恐怖。

その恐怖は私にとってあまりにも大きくって生きる気力がなくなることもある。

 

小さい頃は11月になると毎年のように高熱を出して学校を休んだ。

普段はめっちゃ元気で、朝礼で倒れる子供に、

(あーゆー風に倒れて朝礼サボりたい!) って、憧れてたんだけど

それは夢のごとし・・・。

かよわい感じが全くない子だった。

 

 

今気づいたのだが、その高熱は大人になると恐怖に変わってた。

 

「なんでその恐怖があるか?」 と、自分に問い、書いてみよーと・・・。

 

 

9月生まれの私、11月は生まれて2ヶ月目。

私は生まれて2ヶ月目に母の実家、田舎の祖母の家に預けられた。

両親の仕事が忙しかったからだ。

それから田舎と両親の家の行ったり来たりの生活が始まる。

結果的には田舎の家が大好きになったのだが、

 

2ヶ月の小さな赤ちゃんがお母さんから離れるって、どうよ?

 

過去生セラピーとかヒプノとか色々受けたけど

全く思い出せないその感覚。

 

でも自分が2ヶ月の赤ちゃんになって想像すると、

お母さんがいないって、ビビる〜。

夜なんか特に怖いと思うわ〜。

 

やっぱり子供にとってお母さんがそばにいるって、すごいことなんだよね。

 

家の母なんて全く母親らしくない人で

「オムツ取り替えるのものいやー。」とか、

病気で寝てると、

「あんまり病気ばっかりで寝てないで早く元気になって学校行きなさい!」

なんて言われて、母性ほとんどなし。

 

(今考えると、とんでもない環境で育ってる私は、

よくここまですくすくと育ったもんだわ〜。

と我ながら感心する。)

 

それでも、もし無垢な何にもわからない赤ちゃんなら

そんなお母さんでも抱っこされたいって思うよ。

 

だって抱っこされてるとあったかいし、安心だ。

 

ここまで理解しているけど・・・。

 

(でも、私、どうよ?

いつまでも赤ちゃんの時の恐怖を引きずってて

そろそろ卒業したい!)

って思う爽やかな朝。

 

恐怖心を克服する7つの方法ってのがあったよ。

 

Good morning … Kamala